そもそも朗読って何なのって話
記事タイトルへの返事
「私もよく分からんのやが???」
まず前置き。
私は放送部出身です。
中高の間ほぼずっと朗読をやっていて、大学でも放送系のサークルに入っていた。
といっても高3の時の大会でかなり心折られて大学ではホントお遊びくらいにしかやっていなかった。
始めたばかりのころは本当にド下手くそで、滑舌も最悪だった。でも高校に入った頃から練習方法を見直したりして結構頑張って、大会ではちょっとだけいいとこまでいった。
それだけ頑張ってた高校の頃は多分朗読ガチ勢って言ってよかったんじゃないかな~と思います。
そんな私の担当は松村北斗くんと奥村颯太くんなわけですが…
2019年8月放送 少年倶楽部 in大阪にて奥村くんが
2019年9月放送 少年倶楽部にて北斗くんが
朗読をしました
朗読ガチ勢だった私の、たった2人の担当の、その両方が少クラで朗読をした。
そんなオタク他におるか????
もしいたら連絡ください。たぶんそれってつまり松村担兼奥村担の朗読ガチ勢ですよね。ソウルメイトか???
というわけで、元朗読ガチ勢の私が北斗くんの朗読について講評をしようかな〜って考えてます。
なんで北斗くんだけかっていうと、奥村くんが読んだものは出版されているものなので著作権*1的にそこそこめんどいからです。あと北斗くんのほうが短くてラク。
今回のブログはその前段階、そもそも朗読って何?って話です。
冒頭で書いた通り私もよく分かってないんですけど、「自担が少クラで披露してたけど朗読ってなんなの?」って思っている北斗担や奥村担の皆さんにぼんやりとでも朗読がどういうものなのか知ってもらえたら嬉しいなという気持ちで書いています。
高校時代によく「放送部の大会って何するの?」「朗読って何が採点基準なの?」って訊かれました。朗読のこと音読っていう*2人もいた。
でもまぁ多分一般の認識なんかそんなもんですよね。「なんかいい声でいい感じの発音で文章読んでる」みたいな。まあ意外と合ってるんですけど
これからあれこれ語りますが、私は朗読を専門にして極めたわけじゃないので、それは念頭に置いといてほしいです。(防御線)
これは私の解釈なんですが、朗読とは
物語の世界観を音声で他者に(正確に)伝達すること
だと思ってます。
正確に、にカッコがついてるのは、やっぱり物語だとどうしても主観が入りやすいだろうと思ったので…。
アナウンスの人はその伝達する内容が物語じゃなくてニュースとかの情報にかわります。こちらはもちろん正確にじゃないといけないよね。
音声のみで他の人に伝えなきゃいけないから、放送部やアナウンサーの人は聞き手が正しく聞き取れるように、滑舌を良くする練習をしたり、アクセントを間違えないように記号を振ったりしています。
ホラ、例えば
「あめの日にあめの形をしたあめをもらいました。ところであめの形とはどんな形だと思いますか?まあるいのですか?しずくの形ですか?」
(今適当に作った例文なので例として微妙かもしれない。適切な文があったら教えてください。)
という文章を音だけで聞いたとき、前半の3つの「あめ」を正しいアクセントで読まないと、どの「あめ」なのか分かりづらくないですか?
「そんなん文脈的に考えたら分かるやろ!」と思われるかもしれませんが、一瞬でも「今の○○はどっちの○○?」という考えがよぎってそっちに気をとられると「後半の文章きいてなかった!!」ってなると思います。これは短文だけど後続する文があったらなおさら。
それに「雨」と「飴」のアクセントは地域によって違うので、もしかしたら同じ人がしゃべった内容でも受け取り手の地域によっては解釈が異なるかもしれない。この方言による解釈の違いをなくすために統一されたのが「標準語アクセント」らしい。辞書になってるんですよコレ。そしてアナウンサーはこの辞書を基準にニュース原稿を読み上げている。※この辺の定義のことフワッとしかわかってないので詳しく知りたい人は言語学の人にきいてください。
そんな風に、物語やニュースを追えなくなってしまう隙を無くさなきゃ、と思って私はアクセントや滑舌に気をつけて朗読してました。
あと無声化とか鼻濁音とかあるけどそれはちょっと今回は割愛しますね。個人的に一番難しいんだけどな。
それに加えて、朗読で肝になるのが読み方。
朗読で読むのは大概物語や詩なので、強調したい表現とかがいっぱいあるわけです。
例えば「今ひばりが飛んだ」っていう短い一文があったとして、
「今」を強調して読んだら「ひばりが飛んで行った瞬間」が強調され、
「ひばりが」を強調したら「今飛んで行った生きもの」が強調され
「飛んだ」を強調したら「ひばりの今の行動」が強調されるってわけです。
え、なんかめちゃくちゃ当たり前のことを言っている。
どこを強調するかっていうのは読み手の解釈にゆだねられていて、はっきり言って正解はない。
読書なら「作者→読者」にダイレクトに表現が伝わるけれど、朗読だと「作者→読み手→聞き手」とワンクッション挟むことになるので、しばしば読み手と聞き手の間に解釈違いが生じる。大会とかだと同じ原稿読んでたりするからめっちゃ解釈違い生じる。
そこが朗読の面白いところで難しいところかな、と私は考えています。
そしてこの強調のしかたも色々あって、抑揚(読み方の強弱)だったり、間の置き方だったり、速度だったり…。わりとあらゆる方法を使って物語を表現しています。
田舎町ののどかさを表現するために間を置きながらゆっくりと読んだり、嘔吐するシーンの周囲の焦りを表現するために少し速く強く読んだり、あと何かいろいろ…。
ちなみにこれを大会でやりすぎると「朗読は演技じゃないんだから」とか講評用紙に書かれる。私も演技だと思ってやってないんだけどな。演技にしてはセリフ部分棒だし。
朗読者は、ただ聞き取りやすく読んでるだけじゃなくて、きちんと物語を読み込んで自分なりに解釈して、それをどうやって伝えるかを考えて読んでるってわけです。
誤解がないように書いておきますが、朗読するときは以上の点ぜんぶ気を付けてやらなきゃいけないってわけではなく、朗読が好きな人は好きにやったらいいと思ってます。別にアクセント間違ってても分かるときはわかるし、そんな表現ゴリゴリにしなくとも聞き手が勝手に解釈してくれるっちゃぁそうだし、別に大会出るわけじゃないし。
いや楽しい気持ちが一番大事だよ。(防御線)
ただまぁ、アイドルが朗読をする時は、パフォーマンスなんだからクオリティを高めてほしいっていう気持ちはあります。
いっぱい語って気づいたけど
だいたい歌とおんなじかもしれん(オチ)
追記:松村北斗さんの朗読を勝手に批評した。↓